にゅあんす
言葉の受け取り方って、色々よね。
言った方は忘れてるけど、言われた方は忘れずずっと覚えてるってよく聞くでしょ。
これをね、音として受け取った場合はまだいいんだけど、文字として受け取った場合ちょっと後々大変なのよね。
今日ね、そんなことがありました。
チャットで誰と誰が話してたのか……その誰と誰とだけなら修復が可能でも、そこにもう1人誰かが入ってくると、そのままお収まらず悪化すること間違いなし!
といっても過言ではない。
前に言った言わないでこじれたところに、第三者がいらん一言を入れたばっかりに、縁を断ち切ることにさえなりかねない(まだ縁は切れてない)。
ましてやチャット……いつまでも残るよぉ~文字として、エネルギーとして……
残るんやろなぁ~……ま、これは若さゆえのってところがあるから、いろいろ経験してきた年齢まで、つまずきながら、ぶつかりながら、経験を重ねていくんだね。
なんでもない単語……「たんご」
この「たんご」という単語ひとつ見ても、いろんなものに見えるよね。
単語と言われると、「ご飯」とか「空」とかっていうように、モノの名前が多いってかんじだけど、「たんご」と見ると、「タンゴ」とか「丹後」とか「端午」とかのように、全然違うものに感じるもんね。
みんなそれぞれの取りようがあるから、同じ単語でも全然違って聞こえるし、意味も違ってくる。また同じ単語でも生きてきた土地や年数によったら、全然違う意味になってくるよね。
それを、押し付けたらだめなんだよね。
感じるままに……素直にいると、投げかけたままに何でもなく聞こえるんだけど、ちょっとした気持ちひとつでそれも変わってね、悪いようにとってしまうこともあるんだよね。
子どもも大人も、発する時は、相手のことを考えながら、でもどれだけ周りに気を使っても、己の心に嘘を付けないから出てくるよね!自我がね。
そこをどぉ上手に発するかってのを一度じっくり考えてみてもいいのかもねぇ~って思ったよ。私も気を付けよ~
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